"We have to learn about the conditions that set the problem in the course of trying to solve it."
(Noam Chomsky, 2008, On Phases, p.135)

誰が、何が目的で、何をすべきか (その1:日本の医者に関して)

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 僕の中学からの同級生に今年度から研修医として勤務を始めた医者の卵がいる。仮にKとしよう。つまりドクターKである。親の代から医者というサラブレッドで、実際中学のときから優秀なやつだったし、よい医者になってくれればと思う。自分が将来手術なりなんなりするときはあいつにファーストなりセカンドなりのオピニオンをもらいに行こうと思うし、入院するならやつを主治医にしたらなにかと面白そうである。
 さて、新年明けた1/3、Kの家に泊まって夜通し彼や友人たちと話をする機会に恵まれた。誰が結婚するの別れたのいう話で盛り上がったり、また友人が俺たちファミリーに対して一年以上彼女ができたことを隠し続けていたという不義理を働いていたことを激しく糾弾したり、などなど、話題は多岐にわたったが、その中でも特になるほどと思ったのがKの医者としての立場からのマスコミ批判であったのでここに記する。
 医師不足とそれに伴う医療労働者たちの非人間的な労働環境がいろいろと取りざたされて久しい。特に産科医や小児科医などは本当に壊滅的にやばいらしい。Kによればマスコミの報道などがそういう流れに相当な拍車をかけているという。
 お産というのは、本来的に母子ともに非常に危険な状態であり、いってみれば子宮内に大量出血をしているようなものだという(医者がつかった表現なので多分間違いあるまい)。それが胎児なり母親なりの身体・生命を時として脅かし、時には死に至ってしまうということも当然十分にありうることなのだが、しかしとかくお産ということのめでたさ・ないしめでたいものであるというデフォルトの期待が、そういう部分を見えなくさせる。だから人は一般にお産というおめでたい行為によって母親や生まれてくる子、ないし両方の生命を失うということが許せない。そんなことが起こると、まるで産科医をあだ討ちのごとく責めつらい、訴訟なんかを起こして徹底した追及をする、ということがしばしば起こる。あまりにもそういうのが当たり前なので、むしろこの間「担当の産科医を訴えることはしません」という発言をした遺族のほうがさも珍しいこと・例外的なことであるかのようにマスコミに取りざたされた、とのことだ。日本のこういった医療訴訟の場合、ほとんど常に患者側が勝訴するらしく、なので医者の側は医師免許剥奪だの賠償金だのいろいろな苦しみにあう。
 同じようなことが生まれたての、自ら自分の生命を守り抜く力などまだないような赤ん坊にも言えるし、だから小児科の先生方も同じような苦労に常に直面する。
 こういうお医者さんが自分の仕事を割に合わないと感じるのは当然だろうとKは言う。日本の医師に対する診療報酬というのは基本的に一律と設定されており、言ってみれば風邪の検診や眼科の検診と労働対価としては全く差がないということになる。すると当然ながら、風当たりの強くないような眼科なんかに若い医者が流れていく。若い医師を獲得できない産科や小児科はさらに人材不足によって労働環境が悪化していく。
 たとえばある女性が急に産気づいて救急車で運ばれるとする。救急車は近くの病院に電話をかけ受け入れを請うがどこもいっぱいといって取り合ってくれない。結局そうやってもたもたとしているうちに胎児が死んだり女性が死んだりするとする。新聞が「またたらい回し!」などのセンセーショナルな見出しを書くことになるだろう。事情を知らない僕のような人間はこういう記事を見てそれらの病院の対応を「無責任」とあげつらい憤りを覚えるだろう。
 しかしKの意見は異なる。きちんと妊婦検診などを定期的に行っている女性とその担当の産科医は、あらかじめ出産予定日や胎児の成長などのいろいろな情報を正しく共有することができるため、たいていの場合は実際の出産に際して予測に基づいた適切な対応をすることができる場合がほとんどだという。むしろいきなり予測もなく産気づき、担当医もくそもないままどっかの病院に搬送されるような女性の場合、そのほとんどが適切な時期に適切な妊婦検診を受けていないのだという。すると胎児の先天的な異常や妊娠の状態などについてあらかじめ病院側に全く知らされていない状態になるため、対応ももちろん遅れるし、その妊娠が非常に危険を伴うものであったりすることが「手遅れ」の状態で露見することもしばしばであるらしい。しかも出産予定日などにあわせて分娩室が予約されたりということもないから、実際問題として分娩室いっぱいで対応できないという病院があってもとりわけ不思議なことでもないのである。
 しかしそんな事情を外側の人間は知らないし、だから新聞だって「たらい回し」と書くし、僕らはそれを読んで憤りを覚えるし、あおりを食って医療裁判は雨のように降りかかり続ける。そりゃ産科医もやめてくわ、という話である。そして、辞めてった人の穴を埋めるようにして現場の産科医たちは睡眠時間を削って医療労働に従事し、あくることない疲労と戦い続ける(疲労によるミスなどまたマスコミの格好のネタになるのだ)。
 どっかの地方の大学病院かなんかで、一年間病院に「住んで」(=休みなしで)医療を行い続ければ5000万円の年収を出す、という産科医の公募があったそうだ。その額に僕たちは驚愕するが、さらに驚くべきはそれでもそこに応募しようとする医師がいなかったということだろう。産科医がおかれる未曾有の悪質な労働環境を示唆するできごとであり、きっとそれは氷山の一角でしかないのだろう。
 産科が陥るこうした悪循環が改善されていくような兆しはどこにも見えず、またこのような問題を多かれ少なかれいろいろな科が抱えている、というのが日本の医療の現状である。
  *  *  *
 さて、こういった話を聞いたとき、僕はすごくマスコミの在り方について疑問を持った。なぜ「たらい回し」などのセンセーショナルな見出しをこの期に及んで書き続けるというのか。その目的は何なのか。
 マスコミが組織や制度の不備や不正を指摘することは、それらの是正への道を探り、また再発防止のための監視的な役割を担うなどの「改善」へ向けてのポジティブな働きかけであるべきではないだろうか。しかし、ことKが語った上のような事例では、むしろ世論を煽るような記事を書き続けることで、直接間接産科医などに対する風当たりをいたずらに強くしていき、その医療行為に従事するものたちの気力を著しく挫いていく。そしてそうやってこの産科という医療現場は悪化していく一方なのである。
 いったい、マスコミは何をしているというのか。その悪循環などただただ気づかずに、ということではあるまい。「一介の研修医」Kはむしろ彼のこういった指摘を医療に従事する者の間ではもはや「当たり前」の域に達しているような多数派の意見であるかのように語っていた。記者が取材を続ける限りこういった医師たちの意見が全く彼らの耳に入ってこないというのも考えにくい。
 むしろ、近年のマスコミ側の人間が陥ってしまう方向性のひとつとして、マスコミが本来持つ監視機能の充足という健全な目的を忘れ、自身のメディアの増長(新聞や雑誌なら部数増刷、テレビなら視聴率、etc)などの狭い商業的な独善的な利潤追求にとかく走ってしまいがちになる、というようなことが考えられないだろうか。Kが意図していた指摘も、大まかに言ってこういうことだったのではないかと僕は思った。
 僕は試しにKに、「そういう現状があることはわかった。じゃあKはKの立場でどうしたらそういう現状を改善していく方向に働きかけることができると思う?」と訊いてみた。Kは肩をすくめ、「さあ、本でも書こうか? それともマスコミの取材でも受けようか?」と言った。そこにどの程度の皮肉が込められているのか、僕にはわからなかった。付け加えて、彼は言った。「とりあえず俺がまず人を治せるようにならなきゃ話にならん」と。実に研修医然とした答えである。
   *  *  *
 医者の間で囁かれるこんな格言があるらしい。
「三流の医者は病気を治す。二流の医者は人を治す。そして一流の医者は国を治す」
 Kは問題を知っている。しかし自分が個人としてこの問題に対して何ができるかと自分に問うたとき(ないし僕のような門外漢にビールグラス片手に無責任に問われたとき)、彼は彼自身が諸々の状況を悪化させるばかりと指摘したばかりのマスコミを神頼み的に名指すくらいしかできなかった。
 しかし、それが皮肉であったか如何にかかわらず、たぶんKはある程度正しい。おそらく上のような医者を取り巻く状況を悪化させるように働いているのもマスコミだし、またそれの改善へ向けての効力を発揮できるのもマスコミなのだろう。馬鹿と鋏は使いよう、ということか。
 僕はどうも気持ちが無責任なまでに若い。一般に、問題の所在を知りながら、それに対して自らが無力だと諦めることを自分に許したくはないし、また友達に許したくもないのだ。
 そんな無責任なことを言っていられるのは、おそらくは僕が真の意味での挫折を経験したことがないからだろうなあ。おそらく自分自身で設定した人生の目標が「ヒト言語の計算特性の解明」なんていう(社会で生きることの複雑さをその問題設定上全くinvolveしないという意味で)単純すぎるものであることもその無責任な若さを助長するのだろう。
 Kはそんなわけで今、とりあえず上の意味での「三流」ないし「二流の医者」になろうと熱心に勉強中である(彼女と遠距離になってまで!!)。が、僕は勝手に彼が上の意味での「一流」になり、彼をとりまくそんな状況をいつの間にか打開していってくれることを無責任に若く願ってしまう。がんばれ、K。


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