最近Twitterでもいちいちぼやいているんですけど、最近論文を書くのがどうもつまらないくていかん。
いや、自分でわかっていると思い込んでいることを言語化する段になって手こずるというのを知ることは自分の自分のアイディアに対する理解を促進するという効果があるのでいいのですよ。それはやはりストレスの貯まらないではない行程だが、ある程度有益にして必要なコストとも言えるので割り切れる。が、しかし昔それに加えて修士の頃くらいまでは結構しばしば経験していたのは、いわば書いているプロセスの中から新しいアイディアが出てくるっていうタイプの大なり小なりのエウレカ経験でして、それが最近どうも乏しくなってきているように思われるのが残念でならない。
これは僕が歳をとって頭が固くなってきているのが原因か、それともminimalist programという研究方策が我々研究者に課する独特の難しさによるものなのか。おそらくどちらもがあるのだろう。困ったものだ。 しかしなんだろうな、どうしてもっとこう、「言語学が楽しくて仕方がない」というふうに研究ができないものか(それともまさか今そう感じられてないのは僕だけ?)。そういう感覚というか雰囲気を今syntax研究者が作り出せてないということが多くの若い有能な人達をこの分野から遠ざけていると思う。
このままではいけないと思う。僕も可能なら微力ながらそういう明るい雰囲気を作ることに貢献したいけれど、そのためにはまず自分が心から研究を楽しめてないといけないし、また同じ分野でそういう楽しそうに研究している奴らとどんどん楽しみを語り合って共鳴しあって増幅してかなきゃいかんよな。人はひとりではなにもできないからね。
そもそもこういう「楽しいもんはともかくとことん楽しんでやっちゃえばいいんじゃね?」的なイケイケ感覚こそが我らがICUの吉田智之先生の最大の教えだったのかも。そう思えば、こういうおちゃらけた観点が僕の過去2年くらいの研究生活では必ずしも足りていなかったのではないかとも思う。まあでも、ああいうタイミングで一度真剣に「いつまでもふわふわと無責任に言語学で遊ぶだけのクソガキじゃいけねえ」と思いとどまって暗めに悩んだことで得たこともあるし、そのバックボーンを十二分に活かしつつ、今からどんどん取り返して言語学を楽しんで行けばよい。ということにしよう。
(ところで最近会ったところではPeter Svenoniusってなんだか研究楽しそうな感じ出してていい感じだ。まあ色々と提案に不満はあるけど、でも時々彼の研究普通に面白いしな。)
4 comments
Bridget Samuels says:
Mar 31, 2010
As usual, I could not make any sense of the Google translation, but one part is funny: "just irresponsibly playing with fluffy linguistics forever."
Hiroki Narita says:
Apr 1, 2010
Hahahahaha. Well, I was saying that maybe committing to minimalism has made my life as a biolinguist a bit frustrating and not quite full of joy or creative freedom, but I still regard it as a necessary step in my career that I had stopped "just irresponsibly playing with fluffy linguistics forever," i.e., making up whatever toys I like to describe whatever constructions I happened to be interested in. Hope this makes some sense!
tossi says:
May 9, 2010
やめちゃえば?
Hiroki Narita says:
May 9, 2010
ははw いや、なんだかんだ言って言語研究好きですから、やめません! minimalismをあーだこーだ言うのは飽きたらやめますw