"We have to learn about the conditions that set the problem in the course of trying to solve it."
(Noam Chomsky, 2008, On Phases, p.135)

形式意味論(ないしそういう名前で呼ばれている統辞論)に関してのフォローアップ:その3

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5,6年前にブログをやめ、つい6月とかにちょっとの気の迷いで一瞬ブログを復活させた後、やっぱり気が変わってこのホームページからリンクをといてほっといたんですが、先日友人に「hiroki narita blogで検索すると全然出ますよ! http://hirokinarita.org/tag/blog 」と言われてぎょっとした。タグ検索までやってたら普通に検索できるようになってしまっていたらしい。それで、細かい経緯はともかく、そのグループの別の友人が「モデル理論的意味論を巡るTwitter談義記録」を読んでくれて、ずいぶん好意的にコメントを下さった。8年前の記事にコメントもらえるというのもありがたい話ですが、ということで、一応そのときに彼に返信した内容を一部編集してここに再掲しておきます。

上記Twitter談義記録にたいするフォローアップポストは他にすでに2件(8年前に…笑)書いてるので今回は3。ちなみに1がこちら,2がこちら

じゃ、以下メール再掲です。文中ではその相手の方をAさんとしておきます。

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僕が8〜9年前とかに書いた無責任なノートにコメントくださってありがとうございます(苦笑)。いや、今更当初の思いのすべてを再構築はできないですけど、例えばAさんが書いていらっしゃるふうに読んでいただいてもいいと思います。文章は世に出した瞬間著者を離れた客体になりますので、僕がどう思ってたかとかは関係なしに考える種になれたなら幸いです。

で、その上で、当初僕が考えていたことの一部は、まあpsychological reality(心理実在性)と言ってもいいですけど、というかもっと一般的にscientific realism(科学的実在性)の問題だったように思います(後者のうち一部のみにpsychologicalとラベル付けをしてもしなくてもあまり問題は変わらない)。科学が仮説モデルを立て、それが現象をシンプルかつ網羅的に説明できる程度に応じて、その説明仮説モデルの実在性(reality、あるいは信ぴょう性)は高まるのだと思うのですが、ということは、説明仮説モデルの実在性を少しでも高めようという営為そのものは、これはもう誰がなんと言おうとミニマリズムです。Chomskyを好きでも嫌いでも知らなくても、理論家でも実験屋でもエンジニアでも、科学的実在論の立場を取り(とらなくてもいい;その場合科学は現象記述のゲームということになる)、自分の提示する仮説モデルが現実のよい表示と考え、そしてそれをより良くしていこうとしている人(引退してない科学者)は、もうこれはみんなミニマリストです。最小限のシンプルな仮説で最大限の現象説明を得ようとする。

言語理論はヒトのfaculty of language (FL)のそうした科学モデルでしょうが、最大にシンプルな方が良ければ、もちろん何かどうしても外せないもの(Xとする)以外を全部一旦疑ってみて、どうしても外せないものXの使い方でむしろそれらの仮説体の効果を得ようとすることになる。Chomskyはここで言語の離散無限性や移動現象の偏在や刺激の貧困等々の議論をもとに、「Mergeのみがprespecifyされた計算機構(syntax/UG)」をXに仮定し、他をどうこのモデルで扱うかを考えてみましょうと世に問うた。

リアクション1:syntaxはもう「なんでもあり」(unconstrained Merge)のビーストみたいなもんになってるようだけど、いいよそれで。そいつの外にいる俺たちのメカ(formal semantics?、Y)がきちんと出てくるものを正しく選別してfilter outしてあげるから。こっち側がきちっとしておくんで、てかsyntaxの中身とかもう別にどっちでもいいよ。S→NP VPでもX-barでも、要は最低限の組み合わせさえだしてくれりゃいいんで(ハーバード留学当時僕がformal semanticistsのおおいばりに感じていた雰囲気)。

⇒(僕の感想1)いや、Yってなんだよ。それ科学ならシンプルさを求めるべきでないの? type e,tとか合成typeとかfunction applicationとかdenotationとかtruth-conditionとかset of possible worldsとかcontext variablesとかtype shiftingとか、なんかなんでもござれやってますけど、それらの「どうしても外せない根拠」って何? そんなのなさそうだし、僕はとりあえずはXにたてられてる根拠(言語の離散無限性や移動現象の偏在や刺激の貧困等々の議論)の方を当面は信じておくかなあ。

⇒(僕の感想2)てか、「もやもやで科学が太刀打ちできないpragmatics」から「かっちりはっきりわかるformal semantics」を切り出して研究できるっていう、semantics/pragmaticsの区別の根拠ってのも本当のところ何? なければやっぱりとりあえず「人間の言語使用・意図は(ウィトゲンシュタインだなんだが示したように)科学が太刀打ちできない領域なんだからとりあえずわかる領域(文法)から研究始めといたほうが安全」ていうチョムスキーに賛成だなあ。

⇒(僕の感想3)逆に、もし仮に「「かっちりはっきりわかるinternalなformal semantics」を切り出して言語計算モデルの一部として捉える方向性が妥当だ(記述的・説明的なachievementがそれによって確かにある)」ということになったなら、その場合その説明力の程度に応じてその理論価値、科学実在性が高まるでしょうが、それはもう「FL内の計算機構」という意味で広義のsyntaxでしょう。ということは、成功を収めるformal semanticsはsyntaxなんで、結局syntaxの本分(X)をバカにするとか意味不明。Xからは逃れられないし、てかXが基本だし、Xとがっつり性質が異なる別口のsyntaxを仮定する根拠も強い議論が必要。

リアクション2:Merge最高。ミニマリストモデル最高。詳細な言語事実はそれだけ詳細な語彙項目とか素性とかを立てておけばAgreeしてSpec移動してHead-movementしてちゃちゃっと揃えちゃえばいいわけで、うっしゃ、うちのモデルでマジなんでも記述できるぞ。言語学的に面白い問題は全部素性と移動で解決しちゃるけんね (cartographyに代表されるミニマリスト標榜者のよくある態度)

⇒(僕の感想4)理論全体をシンプルにしたいと思ってねーやつがミニマリズム語ってんじゃねーぞ。XにこだわるあまりにUGにその他百万を足すのを嬉々として受け入れようっていう気がしれん。Xの薄弱さ(ミニマリズムの難しさや時期尚早さ)がかえって浮き彫りになるだけじゃん。お願いだからシンタクスが面白くない分野だと若い人たちに思わせるネガティブキャンペーンやめてくれ。

リアクション3:GBの頃ってgovernmentだのCase filterだのbindingだのECPだのD-structureとS-structureだの、いろいろなとっかかりがあっていろいろな記述が自由に洞察を羽ばたかせて記述できてていい時代だったよね。minimalismは言語学をつまらなくした。新しい記述的発見も出てこないし、結局minimalismは研究プログラムとしてはmassive failureなんだよ(syntaxやろうとするけどなかなか成果を出せない若手がふとつぶやく言葉)

⇒(僕の感想5)…。確かにminimalism下で「理論のいじり方」がものすごく限定されているがゆえに良い成果を出すのが本当に難しくなったと思う。でも、だって、「本当に重要な研究目標」(ミニマリズム)が見つかって、それがそういう守ることが厳しい処方を俺らに課すんだったら、それはそれでしょうがないじゃないか。福井先生は修論を指導してくださってたとき「ミニマリズムは難しいから、おいそれとミニマリズムの最新のモデルを仮定しようと躍起になろうとするのではなく、GBのある程度理論全体の整合性が見通せたモデルを仮定して記述的課題をしっかり描き出すほうが大抵はfruitfulだよ」とおっしゃってたけど、僕はそんなに「記述ではとりあえずこっち、でも長期的に考えとくほうはあっち」みたいな器用な頭の使い方はできない…。

ということで、当時は僕はあっちをみてもこっちをみても僕は不満で、Chomskyや福井先生やほかごく小数名しか本気で話を聞きたい人いなかったんですよね。syntaxは本当は本当に重要で刺激的な分野であるはずなのに…。そういう不満がああいう文章を書かせた、それが8年とか なわけです(苦笑)。

で、僕はその後ブログを閉じたりとかしてこういう話をしないでおくようになったわけですけど、ここに書いた根本的な不満は基本変わってません。ただ、「じゃあ結局何が一番シンプルな路線か?」という問題は結局の所科学を志す者たちそれぞれの主観的判断であって、絶対的なものではない。とすれば、僕の内なる直観がいかにFormal semanticsもCartographyも「Chomskyの最新理論」のblind followersも「なにかおかしい」と感じていたとしても、僕の直観が間違ってるかもしれないのだから、独断的断定的物言いは無責任だな、結局、と思い直した。そういう次第です。

長々と失礼しましたー。

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上のメール再掲の最後の部分にも書いたんですが、僕の科学者としての直観がいかにformal semanticsとかcartographyとかが間違ってると感じていたとしても、僕の直観が間違ってるかもしれない可能性は否めないので、だったら「責任ある大人」は口をつぐむべきかなあと思ってブログも閉じた、みたいなところがあります。でもまあ、僕のページにわざわざ飛んできてくださる言語学者の方というのは、ごく少数であり貴重な存在でいらっしゃるわけですから、8年前の投稿にわざわざ今になってコメントをくれた上記Aさんも含め、そういう方々には何かしらrelevanceのがあるかもしれない投稿をお目にかけたい気持ちはある。そういう場合、僕が言いたいことをあえて口つぐんでるということがメリットとは思われないですし、ま、上くらいのことならいいかなと。

というか、cartogpraphyもformal semanticsも、なんだかんだ言って(当人たちがどう言おうと)結局の所はsyntaxの一部門の研究なわけだから、そこさえ押さえていれば、別に今我々がGBの枠組みでECPを仮定して議論をすすめる研究を聞いても目くじらを立てる必要があまりないのと同様、ああ、そのsyntaxの理論はそのsyntaxの理論なりに何かやってらっしゃるのね、と思って見ていればいいのだろうという納得もしてきました。というか、minimalistを自称してChomskyの最新のlabeling algorithmだ大文字MERGEだを仮定し、それに数十個別の過程を付け加えて何か既存の洞察を述べ直してるだけの研究とかよりそっちのほうが面白いことも実際あるわけだから、結局どこもかしこもどっこいどっこいだ、ということなのだと思います。面白い研究は面白い。面白くない研究が多い。だからみんな頑張ろう!ということです。

ちなみにその後Aさんが感想をくださって、僕が話題にしていたようなタイプのformal semanticsを評して「ああいうのは僕の個人的見解では、形式意味論の本当にいい仕事からはかなりかけ離れています。なので、あれをもって形式意味論って所詮この程度か、とは思わないでほしい。」とおっしゃっていた。この評が妥当と思われるか否かは僕には判断できませんが、そういうことをおっしゃる方がいらっしゃいましたよ、ということだけ報告です。

ま、今後も研究頑張りましょう。


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